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今の時代っていろんなものや人や思想が飛行機に乗って、インターネットに乗ってすごい量、すごい早さでやってくる時代ですよね。そうなると全部が全部を理解しようとすると追いつかない。わけの分からないものをわけの分からないままなんとか引き受ける、時にはわけの分からないことと距離、間合いを取ったりしてなんとかやっていくような技術とかが必要な時代だと思うのです。わけが分からないと言って殺したり、攻めていってはいけないと思うのです。
この「わけのわからないものをどうやってひきうけるか?」というのはこの10年ぐらいの僕の大きなテーマであり、この星のみんなのテーマでもあるとおもいます。今回、その象徴的な例のひとつとしてドイツ人の学生が意味の分からない日本語の歌を意味の分からないまま覚えて歌っている映像を見せていますが、この作品を見た人がそれぞれ「わけのわからないものをどうやってひきうけるか?」ということをそれぞれの方法で考えてもらうきっかけになればいいな、と思っています。
そしてこれからの美術と美術館の役割のひとつは実はわけの分からないものを引き受ける練習の場ではないか、と思うのです。よく「現代美術は分からない。おもしろくない。」という言い方を聞きますが、実は美術は分からないからこそ意味があるとも思うのです。
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美術の仕事をしている人と、どういう作品が好きかという話をしていた。

思いつくままにいくつか挙げると、

「いかにも本を読んで育った人という感じねえ」

と言った。

「なにかを感じるための回路が、文章ベースで開けているという感じ。うん、たとえば、『シベリアの王女』は子どもたちに人気があって、ワークシートにお話を書く子が多いの」

私は少し恥ずかしくなり、私、美術のことなんにも知らないから、小さい子と一緒なんだよと言った。

すると彼女はにこにこ笑って言う。

「ある意味ではね。でもそれっていいこと、とっても楽しいことだと思うな。美大を出たりした人間はね、たとえばジェームズ・タレルを観てもびっくりしないの、どういうことかわかる?」

わからない。あれを観てびっくりしない人がいるというのがぜんぜんわからない。

「あらかじめ知っているから。『これがそうか』とか『今度はこうきたか』と思う。それに大量に観るから、ひとつひとつは流してしまう。今日の展示ではあれとこれをとりあえず押さえておこう、とかね。そういう見方になるの」

それはあんまりおもしろくなさそうだ。なんだか義務っぽい。

「仕事の一部だもの、そりゃあ義務みたいにもなっちゃう。だからね、私たちはある意味で不幸なの。好きなことを仕事にしたことと引きかえに、小学生のような楽しみかたをうしなってしまう。プロにはプロの楽しみがあるけれど、少なくとも私は、ときどきそれにうんざりする」

それから彼女は少し黙って、ねえ文学評論とか読む?と訊く。読む習慣がない、と私は答える。

「それって、私にはいちばん好きなものを守る良い方法みたいに思える。仕事じゃなくっても、他人に与えられた文脈で消費する癖がついてしまうと、ちょっとうんざりすることがあると思うから」

私はそんなことちっとも考えていなかった。プロってたいへんだ。

「それでも、ずっと読んでいたら、ある種の批評眼がやしなわれてしまうことはない?好きなものについて話すのってすごく楽しいし」

わからないけれど、嗅覚みたいなものはできる、それに話すのはやっぱり楽しい、と私は答えた。

「だからじゃないかな、だから第二、第三の未開拓地を、私たちは求めるんじゃないかな、私は音楽を聴いて、あなたは美術館に行く。なんにも知らないで、なんのメタ的な視点も持たずに、単一のコンテンツをすっきりと消費するためにね」

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生まれてはじめてカメラを持ったとき、旅行以外に撮る場面が思いつかなかった。それで、写真が好きだという後輩に、なにを撮ったらいいかな、と相談したら、「なんでも撮ればいいんですよ」という。

なんでもって、たとえばどんなものを、と訊くと、彼は手元のMacを開いて説明をはじめた。

はじめてカメラを買ったのは高校を出るちょっと前なんです。

これは受験票を入試会場に置いたところですね。次は終わったあと。出たとこ。道。駅。いっぱいいますね受験生が。

飛ばしますか、これ入試の一週間後くらい。家にばあちゃんが来てる。こっちは高校の入り口。高校の廊下。高校の教室。これは田中です。え?いや別に友だちじゃないです田中は。わりとどうでもいいやつです。今これ見なかったらたぶん一生思い出してない。

日付で派手なの選ばないと退屈ですよね、入学式はこのあたりかな?これ講堂の外ですね。あと空。空、青いなあ。

近いの見ましょうか。これ先週の金曜日、ココイチでカレー食ってます。そうです駅裏の。あ、この靴はいてたのか、あんまりはかない靴なんだけど。この花は近所の。あ、これさっきだ、この建物の玄関、えっと、二時間前です。

彼はそんなふうに次々と写真を見せた。

私だけでなく、研究室にいた人たちがみんなびっくりした。量が尋常ではない。日付のラベルが毎日ぶんあって、しかもどうやら一日一枚ではない。

なにより、彼の写真には意図というものが感じられない。彼はなにも選んでいないのだ。「撮ったら叱られるものとか、誰かが見たときに叱られそうなものとか以外は撮りますよ。撮らない理由がないから」と彼は言う。

なんでまたこんなに無差別にとっておくのか、これをもとに美術作品を制作したりするのか、と訊くと(私には、よくわからない創造物はとりあえず現代美術だと解釈する安直な癖がある)、彼は「いや、ただ、おもしろいと思って」と言った。

もし彼の写真をスライドショーでずっと見続けたら変な感じがするだろうな、と私は思う。それは彼の記憶みたいなものだからだ。

私たちは語られる他人の記憶には慣れているけれども、意味づけされていない生の記憶には、決して接することがない。だからそれに近い彼の写真群を時系列順に見たら、きっと新鮮で、同時に気持ち悪いだろうと思う。

べつの後輩が「たまには見られる側に回るべきだよ」といってカメラを取り出すと、彼もすかさず自分のカメラを構え、向かい合わせにシャッタを切った。そうして自分の撮った写真を眺めて、「この写真に写ってるカメラの、このレンズに僕が映ってるんですよね」と楽しそうに言った。なるほど、カメラがあれば、彼はいつも見る側で、主体なのだ。

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僕がFollowするかどうかの 基準として選んでいるのは「その人の脳みそがそこにはみ出してきているかどうか」です。 どこかにある情報を自分の脳みそを通さずに垂れ流す人に興味はないですし、 何かの肩書きで有名だからというだけでは見ていてもさして面白くないです。

今、その人はどういう思考をしているのかが、激しく露出している人をTLで眺めていると、 ものすごく参考になります。もちろん同意できることばかりではありません。ただ、 その思考をこちらも感じ取ることができるという点で非常に勉強になります。

別にTwitterだけが脳みそをはみ出させる場所ではないのですが、はみ出しやすいのは 事実だと思います。

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耳触りの良い言葉の裏側を説明しろ

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年始、TBSでSASUKEと言う素人が出場するたけし城みたいな番組やってて、妻がファンだと言うので何となく全部見てしまった。それに出場する人たちの中には、このSASUKEに出場する為に転職したり、フリーターになってる人がいるとのことで、TVの中ではさもそのSASUKEと言う番組がスゴイだろ、的な自画自賛をしていた。でも結局優勝したのはちゃんとした職についているらしい人(靴の営業マンとか言ってた)で、SASUKEに出る為に職まで犠牲にしていた人たちは一体何なんだろうと思ってしまった。

手塚治虫が昔、医者を目指していたけど漫画家になったのは結構有名な話だと思うのだけれど、結局本当に才能のある人はその才能を活かせる場所じゃないところで働いていても、結局最終的には才能を活かせる場所へと流れてきて、そこで何十年と頑張っている人たちをあっという間に追い抜いてしまうような気がするんだよね。

俺はTVや応援ソングで「夢をかなえる為に頑張ろう」と言うメッセージが大嫌いなんだけど、みんなそんなに具体的な夢を持ってんのかな。夢が無ければ見つけないといけないとか脅しにかかってきたりするけど、その夢自体も見つけないといけないことなんだろうか。百歩譲って夢を見つけなくちゃとか実現しなくちゃとか言ってもいいけど、そのリスクも説明すべきだと思うんだよね。例えばシンガーソングライターで成功したいと言う夢があったとして、その夢をかなえられるのは数万人に一人で、しかも叶えられなかった代償として10年を無駄にする、とかね。

耳触りの良い言葉だけを並べること、それは確かに言う方も言われる方も心地よいけど、でもその裏には代償もあることをきちんと説明すべきだよね。

話がそれてしまったけど、SASUKEに出てる人たちで、家族がいるのにその家族を犠牲にしてまでSASUKEに出ること、更にそれを美化してTV内で説明することはどうかと思った。

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